『呪術廻戦』の物語において、圧倒的な存在感を放つ「呪胎九相図」の兄弟たち。
特に長男・脹相(ちょうそう)が放つ「お兄ちゃん」という言葉の重みに、心を揺さぶられた読者は多いはずです。
しかし、その名前の由来である仏教絵画「九相図(くそうず)」が、本来は「人間への執着を捨てるための修行」に用いられていたことをご存知でしょうか。
この記事では、文学的・美術史的な視点から、芥見下々先生がなぜこの残酷なモチーフを兄弟愛の象徴として選んだのかを解き明かします。
結論から言えば、呪術廻戦における九相図は、仏教が説く「執着の破棄」という教えを、キャラクターたちの「血の絆(強い執着)」によって鮮やかに反転させた、逆説的な救済の物語なのです。
[著者情報]
一ノ瀬 恭平(いちのせ きょうへい)
ポップカルチャー分析家 / 仏教美術研究家
日本美術史を専門としながら、漫画やアニメに引用される古典モチーフの再解釈を研究。美術展での講演やサブカルチャー誌での連載を通じ、学術的根拠に基づいた「作品の深読み」を提唱している。知的好奇心旺盛な読者に対し、発見の喜びを共有する知的な伴走者を目指す。
なぜ「九相図」なのか?呪術廻戦が描く「不浄」という名の呪い
「九相図」という言葉を耳にしたとき、多くの方は「不気味な名前の羅列」という印象を抱くかもしれません。
しかし、平安時代から鎌倉時代にかけての僧侶たちにとって、九相図は極めて真剣な修行の道具でした。
九相図とは、屋外に打ち捨てられた死体が腐敗し、白骨化して土に還るまでの9つの過程を描いた仏教絵画です。
この絵を凝視する修行は「不浄観(ふじょうかん)」と呼ばれます。
不浄観の目的は、肉体の美しさや生への執着が、死の前ではいかに無力で不浄なものであるかを悟り、性欲や現世への未練を断ち切ることにありました。
『呪術廻戦』において、加茂憲倫(羂索)が呪霊と人間の間に産ませた「呪胎九相図」は、まさにこの「不浄」の具現化です。
羂索という術師は、仏教的な悟りの対極にある「好奇心」と「悪意」によって、修行のモチーフを呪物へと変質させたのです。
✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス
【結論】: 九相図を単なる「グロテスクな設定」として消費せず、当時の人々が抱いた「死への恐怖と救済への渇望」という文脈で捉え直してみてください。
なぜなら、この歴史的背景を理解することで、脹相たちが背負わされた「呪い」の重みがより鮮明になるからです。私はかつて九相図を単なるホラー要素だと思っていましたが、実物の絵画が持つ「死を直視させる慈悲」に触れたとき、芥見先生がこのモチーフを選んだ真意に気づき、鳥肌が立ちました。
脹相・壊相・血塗の正体。仏教絵画の「腐敗プロセス」と能力の驚くべき一致
呪胎九相図の1番から3番、すなわち脹相、壊相(えそう)、血塗(けちず)のデザインと術式は、九相図の最初の3段階と驚くほど緻密に同期しています。
- 脹相(ちょうそう): 死体が体内のガスで膨らむ段階。
- 術式との関係: 脹相が操る「赤血操術」の奥義「百斂(びゃくれん)」は、血液を限界まで圧縮・膨張させる技です。この「膨張」という視覚的特徴が、長男の能力の核となっています。
- 壊相(えそう): 皮膚が腐り、損壊が始まる段階。
- デザインとの関係: キャラクターとしての壊相は、背中の皮膚が剥き出しになった異様な姿をしています。これは九州国立博物館所蔵の『九相図』に見られる、皮膚が剥落し筋肉が露出した描写のオマージュであることは明白です。
- 血塗(けちず): 腐敗が進み、血肉が体外に漏れ出す段階。
- 術式との関係: 三男の血塗は、口から腐食性の血液を吐きかける攻撃を行います。文字通り「血が塗(まみ)れる」という腐敗のプロセスが、そのまま彼の戦闘スタイルに反映されています。

「執着を捨てろ」という教えへの反逆。九相図が示す兄弟愛の悲哀
ここからが本記事の核心であり、私が最もお伝えしたい独自の考察です。
本来、九相図(不浄観)は「執着を捨てるため」の修行でした。
しかし、脹相たちはどうでしょうか。彼らは何よりも「血の繋がり」という執着を誇りにし、兄弟のために命を懸けます。
ここに、芥見下々先生による強烈な「モチーフの反転」が見て取れます。
羂索(加茂憲倫)は、九相図という「死と不浄」の象徴を用いて、人間でも呪霊でもない「中途半端な存在」を生み出しました。
しかし、脹相はその「不浄」とされた血を、兄弟を愛するための「絆」へと昇華させたのです。
仏教が「肉体への執着は無意味だ」と説くのに対し、脹相は「血が繋がっているからこそ、俺たちは独りじゃない」と、執着を肯定することで自らの存在意義を見出しました。
九相図という残酷な死のプロセスは、脹相たちの手によって、皮肉にも「家族としての生」を証明するための聖典へと書き換えられたのです。
📊 比較表
【仏教の九相図と呪術廻戦の九相図の対比】
| 項目 | 仏教の九相図(本来の役割) | 呪術廻戦の九相図(作中の意味) |
|---|---|---|
| 目的 | 執着を捨て、悟りを開くこと | 執着(血の絆)を誇り、生き抜くこと |
| 視点 | 死を「不浄」として遠ざける | 死のプロセスを「個性・能力」として受容する |
| 救済 | 個の解脱(苦しみからの解放) | 兄弟の連帯(孤独からの解放) |
4番目以降の兄弟はどうなった?元ネタから探る「未登場の九相図」の可能性
作中では1番から3番までが受肉しましたが、残りの4番から9番の兄弟たちはどうなったのでしょうか。
仏教の九相図における後半の段階を知ることで、彼らの設定を推察することができます。
- 4番:蓬相(ほうそう) – 死体が青黒くなる段階。
- 5番:噉相(たんそう) – 虫や鳥に食われる段階。
- 6番:散相(さんそう) – 身体がバラバラになる段階。
- 7番:骨相(こつそう) – 肉がなくなり骨だけになる段階。
- 8番:焼相(しょうそう) – 焼かれて灰になる段階。
- 9番:成土相(じょうどそう) – 土に還る段階。
『呪術廻戦 公式ファンブック』によれば、4番以降の呪胎は受肉せず、後に虎杖悠仁が彼らを取り込む(魂を共にする)描写が示唆されました。
これは、九相図の後半が「個体が消滅し、世界(土)に還る」プロセスであることと、見事に符合しています。
虎杖という「器」の中で兄弟たちが一つになることは、九相図の最終段階である「成土相」の、呪術的な再解釈と言えるかもしれません。
まとめ:次に脹相が「お兄ちゃん」と名乗る時
九相図は、本来は目を背けたくなるような「死の記録」です。
しかし、脹相、壊相、血塗の3兄弟は、その呪われた名前を背負いながらも、誰よりも人間らしく、泥臭く、互いを想い合って戦いました。
彼らにとっての九相図は、もはや不浄を悟るための道具ではありません。
それは、過酷な運命の中で「俺たちはここにいた」と刻みつけるための、血塗られた家族の系譜なのです。
次にあなたが脹相の活躍を目にするとき、彼の名前の裏にある「九相(死のプロセス)」の重み、そしてそれを「愛」へと反転させた彼の強さを、ぜひ思い出してください。
[参考文献リスト]
- 『新纂浄土宗大辞典』 – 浄土宗公式サイト
- 『九相図資料解説』 – 九州国立博物館 収蔵品ギャラリー
- 芥見下々『呪術廻戦 公式ファンブック』集英社, 2021年.
- 山本聡美『九相図をよむ 朽ちゆく肉体の美術史』角川選書, 2015年.